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 生 き た 伝 説 

「大山道場 初代師範代」でありながら「極真会館 初代師範代」でもある。まさに「大山空手」と「極真空手」の礎を築いた「生きた伝説」として、その功績は計り知れない。

 

「空手バカ一代」世代が知るエピソードの数々は、そのほとんどが渡邊一久総師範の実体験であり、ノンフィクションなのである。

 

「バカ一」の影響で「ケンカ空手」=「野蛮」+「物騒」のイメージが定着してしまった「大山空手」だが、実際の大山道場は「ケンカ御法度」であり、「大義名分」なき争いは即刻「破門」であった。

 

 渡邊一久総師範の場合、ご両親が池袋で飲食業を営んでいた関係で何かと面倒事が絶えなかった。当時の池袋はヤクザや愚連隊が「大手を振って」歩き回るような土地柄で、商売上、彼らとの揉め事に悩まされ、巻き込まれることが多々あったのだ。

 

 渡邊一久総師範には「家族を守る」という「大義名分」と、相手がヤクザや愚連隊という「玄人」であったため、大山倍達先生から「必ず報告する」という条件のもとに容認された。このときに記録を取っていたのが梶原一騎氏であり、この数々の「実戦体験記」が後の、梶原一騎氏の代表作ともなった『空手バカ一代』の成功への鍵となったことは否定し難い事実である。

 

 そして『空手バカ一代』の人気と、世界初となる「直接打撃」による「空手」のオープン・トーナメント開催によって、世界に極真空手の名を轟かせたのである。

 

「世界の極真空手」として地位と技術を確立したが、真の「大山空手」の技術が失われてしまうことを危惧された大山倍達先生が、生前に個人的に連絡をされ、渡邊一久総師範に技術継承を託されていた。

 

 諸事情により大山倍達先生との約束をすぐに実行することができなかったが、ご自身の年齢を省みた時、残された時間の全てを師・大山倍達先生との約束に捧げることを決意された。

 

 大山道場時代から、自己の実戦経験を創意工夫した独自の「指導方法」と「稽古体系」は高く評価されており、多数の優れた空手家を輩出。渡邊総師範の指導受けた弟子たちが、現在に続くフルコンタクト空手時代を築いた。

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