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 渡邊一久総師範は「大山道場」時代 ~ 「極真会館」時代を通して、多くの優れた空手家を育て上げてきた。現・極真会館の松井章圭館長は「孫弟子」にあたり、渡邊一久総師範が教えた加藤重夫師範が松井章圭館長を育てたのだ。また、元K-1max王者であった魔裟斗も加藤重夫師範の弟子である。

 このように渡邊一久総師範が育てた木々は大きく成長し大木となり、その種から新たなる木々が成長しはじめている。ここでは渡邊総師範が残した「功績」のホンの一部を紹介しよう。

中村 忠

世界空手道連盟 誠道塾 会長。

渡邊一久総師範同様小柄なため、体格に勝る外国人との戦い方を、渡米前に渡邊一久総師範に仕込まれた。

『空手バカ一代』時代の「極真四天王」の一人である。

大山 茂

国際大山空手道連盟 ワールド大山空手 総師。

『空手バカ一代』時代の「極真四天王」の一人である。

2016年2月 お亡くなりになられました。

心よりご冥福をお祈りいたします。

大山 泰彦

国際大山空手道連盟 ワールド大山空手 最高師範。

『空手バカ一代』時代の「極真四天王」の一人である。

藤平 昭雄(大沢 昇)

元キックボクサーであり大沢ジム会長。大沢食堂店主(現在は閉店)。

その情熱的な戦いから「小さな巨人」と称された。

元日本ミドル級王者 竹山晴友は弟子である。

『空手バカ一代』時代の「極真四天王」の一人である。

加藤 重夫

藤ジム会長。現・極真会館館長 松井章圭館長と元K-1Max王者 魔娑斗の師匠。

渡邊一久総師範に似た小柄な体格なので「組手稽古」において、一番「可愛いがられた弟子」の一人である。その戦い方から『牛若丸』と称された。

あまり知られていないが、人気を博した「K-1グランプリ」のアイデアを生んだ方でもある。

芦原 英幸(故)

新国際空手道連盟 芦原会館 館長。梶原一騎作『空手バカ一代』のモデル。

作中では「ケンカ十段」と呼ばれている。(※実際は安田英治先生のこと)

四国行きに伴い、渡邊一久総師範に「餞別」代わりに授けられた「受け返し」の技法が、「サバキ」の原点となっていることはあまり知られていない。

また、芦原英幸氏が自分の道場の壁に、極真会館本部道場と同じ「大山倍達先生」と「渡邊一久総師範」の写真(飛び蹴り)を飾ろうとしたが、大山倍達先生は本部道場と同じ写真を飾ることを快く思わなかった。そんな大山倍達先生を説き伏せて、許可を与えたのも渡邊一久総師範であり、心からの「御祝儀」であった。

 

長谷川 一幸

国際空手道連盟 極真會館 世界総極真代表。第2回全日本選手権優勝(1970年)。

小柄な体格から「小さな巨人」と言われた。

盧山 初雄

極真奨学会 極真空手道連盟 極真館 館長。第5回全日本選手権優勝(1973年)。

松井派の極真会館では 最高顧問・主席師範 極真空手九段。(在籍時)

下段蹴りを得意とし「ローキックの盧山」と呼ばれた。

大気拳の澤井健一先生と拳道会の中村日出夫先生に師事したこともある。

 

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